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富士通コンコード・ジャズ・フェスティバルとは

富士通コンコード

1986年に始まった『富士通コンコード・ジャズ・フェスティバル・イン・ジャパン』は、今や日本のジャズ界では古い伝統のイベントである。
『コンコード・ジャズ・フェスティバル』は、もともとカリフォルニア州コンコード市でスタートした。生みの親であるコンコード・レコードの故カール・E・ジェファーソン社長のポリシーだった「楽しくスイングするエンターテインメント性溢れるメインストリーム・ジャズ」を中心に据えている。男性も女性も、そして若者から熟年まで、幅広いファンに支持されている所以である。

「富士通コンコード・ジャズ・フェスティバル」が今年も全国で開催される。

In North America

コンコード市のカーディーラーで、熱心なジャズ・ファンでもあったカール・E・ジェファーソン氏の発案で、市の活性化を目的としてコンコード市の主催事業として始められた。第1回は1969年市内のコンコード・ブールバード・ネイバーフッド公園を会場に、8月26日~31日の6日間スタン・ケントン・オーケストラ、バディ・リッチ楽団、メル・トーメ、カーメン・マクレイ、エロール・ガーナーほか錚々たるメンバーを迎えて行われた。
フェスティバルは回を重ねるごとに規模を拡大し、市当局や市民、さらに近隣の住民たちの支持も高まり、フェスティバル専用のホールが必要となった。市はふたたびジェファーソン氏の支援を得て、1975年市の郊外にあるディアブロ山麓丘陵地の自然のくぼ地に8500人を収容できるコンコード・パビリオンを完成させた。

コンコード・ジャズ・フェスティバルはカリフォルニア州コンコード市で生まれた。

コンコード市

人口は10万人を超え、コントラ・コスタ郡の中心都市となっている。近くにワインの産地として有名なナパ・バレーがある。サンフランシスコ市内からは車で45分。ベイ・ブリッジをわたってフリーウェイ・ルート80を東へ向かい、ルート24を東へ、そしてルート680を北ヘ進むとコンコード市に入る。BART ( サンフランシスコと近郊の都市をむすぶモノレール鉄道網。サンフランシスコ市内では地下を走っている。) で行く方法もある。サンフランシスコの中心街からコンコード駅まで、BARTに乗って約1時間。コンコード市は岩手県北上市と姉妹都市提携をしており、姉妹都市15周年と20周年を記念して、1989年と1994年には北上市でも『富士通コンコード・ジャズ・フェスティバル』が開催された。また、コンコード市は、「テイク・ファイヴ」で名高いジャズ・ピアニストのデイヴ・ブルーベックの生まれ故郷でもある。

カリフォルニア州コンコード市は、サンフランシスコの北東50kmに位置する閑静なベッドタウン。

カール・E・ジェファーソン氏

大の親日派でもあったジェファーソン氏は、毎年必ず『富士通コンコード』のために日本を訪れて司会をつとめ、機会あるごとに日本のファンとの交流につとめてきたが、1995年3月29日カリフォルニア州セントヘレナの病院で亡くなった。享年75歳。
熱心なジャズ・ファンだった、カリフォルニア州コンコード市のカーディーラーのカール・E・ジェファーソン氏は、コンコード市の町興しにと発案した『コンコード・ジャズ・フェスティバル』とコンコード・パビリオンの建設に私財を投じ、1973年にはコンコード・レコードを設立するなど、ジャズの普及に尽力した。『富士通コンコード・ジャズ・フェスティバル』のミュージシャンもスタッフも、氏の人柄とジャズにたいする並々ならぬ情熱には常に敬服。ジャズを通じて世界の人々が友人になることを願い、氏はよく口にしていた。「ジャズはエスペラント語である」。

コンコード・レコード、米国の「コンコード・ジャズ・フェスティバル」、日本の「富士通コンコード」の生みの親。