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ケン・ペプロウスキー(指揮)、ボブ・ミリカン(トランペット)、ジョン-エリック・ケルソ(トランペット)、デイヴ・ブラウン(トランペット)、ハーヴェイ・ティブス(トロンボーン)、ダン・ベレット(トロンボーン)、ケン・ペプロウスキー(クラリネット)、ジャック・スタッキー(アルトサックス)、ジョン・ゴードン(アルトサックス)、ダン・ブロック(テナーサックス)、ビル・イーズリー(テナーサックス)、デレク・スミス(ピアノ)、ピエール・コテ(ギター)、レネ・カマチョ(ベース)、ジミー・ブランリー(ドラムス)、キャロル・ウェルスマン(ヴォーカル)
<ケン・ペプロウスキー キャロル・ウェルスマン スイング・メッセンジャーズ>(夜須、Tokyo TUC)
ケン・ペプロウスキー(クラリネット)、キャロル・ウェルスマン(ヴォーカル)、ピエール・コテ(ギター)、レネ・カマチョ(ベース)、ジミー・ブランリー(ドラムス)

ケン・ぺプロウスキー(Ken Peplowski)
1959年5月23日オハイオ州ガーフィールド・ハイツ生まれ。小学校の時すでにプロになると決めていたという天才児だった。高校時代には、地元のダンス・パーティ―やTV番組に出演、卒業後、バディ・モロウの指揮するトミー・ドーシー楽団に入団する。1980年にニューヨークに進出。デキシーランド・ジャズからアヴァンギャルド・ジャズまであらゆるスタイルのジャズを経験。どんなジャズにでも適応できる素晴しい技巧と感性を備えたプレイヤーだ。1984年にベニー・グッドマンが再びバンドを結成した時、テナー・サックス奏者として招かれる。人間的に難しい人だったというベニー・グッドマンだが、彼は大変可愛がられた。ベニー・グッドマンがプロデューサーになってケンのレコードを作ろうという話も出た程だったという。1987年にコンコード・レーベルと契約。1997年には、「ア・トリビュート・トゥ・ベニー・グッドマン」というアルバムをヴィブラフォンを交えたベニー・グッドマン・カルテットと同じ編成で発表して話題になった。同レーベルには、20何枚かのアルバムを吹き込んでいて、その後、ネゲル・へイヤー・レーベル、最近では、日本のヴィーナス・レコードに録音を残している。富士通コンコード・ジャズ・フェスティバルには、1988年以来何度も出演している。2007年には、アメリカのオレゴン・フェスティバル・オブ・アメリカン・ミュージックのアドヴァイザーに選ばれた。

キャロル・ウエルスマン(Carol Welsman)
カナダ・トロント生まれ、祖父は、トロント・シンフォニー・オーケストラの創設者だった。高校時代にクラシック・ピアノ、ダブル・ベース、ヴァイオリンを勉強する。ジヤズに興味を持ち、1980年、ボストンのバークレー音楽院に入りピアノを専攻する。トロントへ戻りドン・トンプソン、デイヴ・ヤング等のミュージッシャンと共演する。その後ヨーロッパをツアー、フランス、ギリシャ、スペイン、イタリアなどを自分のジャズ・ポップ・バンドと廻り、フランス語、イタリア語も堪能な彼女の舞台は好評だった。その間、ミッシェル・ルグランの妹のクリスチャン・ルグランからヴォイシングを習う。1988年にカナダへ戻り、1994年には初アルバム「ラッキー・トゥ・ビー・ミー」を発表JUNO賞の「コンテンポラリー・ジャズ・アルバム」にノミネートされる。1996年にジャズ・レポート誌で「ベスト・フィーメール・ジャズ・ヴォーカリスト・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、同1996年、2枚目のアルバム「インクラインド」を発表。これもJUNO 賞にノミネートされた。3作目の「スイング・レディズ・スイング」は、自分のカルテットと40人編成の大オーケストラでスイング時代の女性歌手達へのトリビュート作品だった。2001年にロスアンジェルスへ移り当地でロニー・フォスターのプロデュースで「ホールド・ミー」を発表、2002年にはベテラン歌手、アンディ・ベイ等と共に、伝統あるサヴォイ・ジャズ・レーベルの専属歌手として契約、その第一作「ザ・ランゲージ・オブ・ラヴ」は、ビルボード・チャートの第5位まで上った。2004年に富士通ジャズ・エリートで初来日、2006年に「コットン・クラブ」、2007年に「ブルーノート東京」と毎年のように来日して素晴らしいステージをみせている。