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60年代後半のヨーロッパの山岳リゾートにカルチャーショック

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60年代後半のヨーロッパの山岳リゾートにカルチャーショック

黒川

私は今井さんと同年代で、今井さんがマッターホルンの北壁に挑んだ1967年に富士通に入社しました。大学時代は春夏秋と尾根を歩き、帰りに温泉に入ってビールを飲むという山歩きをしていました。今井さんはマッターホルン北壁を始め、欧州三大北壁を登攀、その後ヒマラヤに登山隊を率いて行かれた。最近ではもっと山を楽しもうと言われ、自然環境の保護も訴えている。最初の頃のチャレンジングな登山とはずいぶん変わってきているという印象を受けます。



今井

1960年代半ばに、登山の中に温泉が視野に入っていたのはすごいですね。それこそ、かなり先駆的ですよ。

富士通株式会社 代表取締役社長 黒川 博昭


医師 登山家 今井 通子氏

黒川

果たして、先駆的かどうか。今井さんはずいぶんチャレンジングな登山をされてきているわけですが、そのあたりの背景をお聞かせ下さい。



今井

両親は二人とも医者でしたが、私も最初、親に山を教わったと思っていたのですが、実は私を自然界の中に連れ込むという作業をしてくれていたのです。尾根歩きをして、温泉に入り、おいしいものを食べる。まだ衣食住が満ち足りていなかった時代なので、それが栄養になり、健康に結びついたわけです。昔は結核の療養をする時に、都会よりも山の中がよいと、転地療養というのがありました。そこで、両親は健康な子ども達のために、予防医学的に、海や山に行くのはよいことだと考えていたのです。ですから、山登りとは何かわからないまま、自然界に連れて行かれた。その後成長して、本能的に自分の限界に挑むような山登りを始めたのです。



黒川

なるほど。



今井

それで、そのまま突っ走ったかというと、そうではないのです。1967年にマッターホルン北壁を目指して、ヨーロッパに行ったわけですが、向こうの山岳リゾート地にはたくさんの人がいて、ハイキングやトレッキングを楽しんでいる。でも、山頂まで登ったりロッククライミングをしたりする人はほんの一握りしかいなかった。日本では60年代、山に行くのは頂上を極めることだ、物事は始めたら、あきらめずに達成するのだというイメージトレーニングのためにもっぱら、利用されていました。ヨーロッパは、日本とは逆だったのです。

これは、なぜなんだろうと調べてみたら、ヨーロッパでは産業革命以来、それまで朝早く起きて、野良に出て畑仕事をするという人間の生活が、工場やオフィスに出勤して仕事をするという形に変わってきた。その結果、運動不足になり、工場の煤煙(硫黄酸化物)で子ども達のぜんそくが増えたり、病弱になる人も多くなった。それではいけないと、自然界に行くことの大切さが社会的に認識され、19世紀末にはドイツの高校生がワンダーフォーゲルを考案し、1936年にフランスではバカンス法が制定された。そうしたことを背景に、ヨーロッパの人々は森に行き、自然の中で過ごすことを当たり前のこととしてやっていたのです。私はそれを知ってカルチャーショックを受けました。

1984年、世界の最高峰8848mのチョモランマを、北側(中国チベット)よりアタック。




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